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フィリップ・ド・ロスシルド男爵(1902年-1988年)

フィリップ・ド・ロスシルド男爵(1902年-1988年)

 

企業家であり文化人であり、フィリップ・ド・ロスシルド男爵は、美的芸術感覚と巧みな経営能力をバランスよく持ち合わせていました。

1922年、父上の死後、シャトー・ムートン・ロスシルドを承継し、ここに活動拠点を移します。当時はまだロウソクで明かりをとり、井戸を使用していた時代です。その後、ドメーヌの近代化に努め、ボルドーワインを取り巻く状況も非常に厳しかったその時代を精力的に支え、乗り越え、ボルドーワイン復活の立役者となりました。1924年からは、グランクリュ所有者としての責任と権限拡大を意味する、シャトーにおける完全ボトル詰め(元詰め)システムを導入します。

最初の妻をラーフェンスブリュックの強制収容所で失い、1954年にポーリーヌ・フェアファクス・ポッターと再婚。感性豊かな才能あふれるアメリカ人デザイナーでした。私設美術館「芸術の中のワイン・ミュージアム」は夫妻の立案で、世界中から集められた貴重な美術品コレクションを誇っています。

ジャンルを問わず芸術を愛し、多くの芸術家と親交を結んでいた男爵は、戦後、ジョルジュ・ブラック、サルバドール・ダリ、パブロ・ピカソをはじめとする美術界の巨匠アーティストに、ムートン・ロスシルドのワインラベル作品の制作を依頼します

また、1924年から1931年の期間には、ピガール劇場を運営。1934年には、発声映画の初期傑作のひとつ「Lac aux Dames(乙女の湖)」を制作しています。文才にも長け、アカデミー・フランセーズ賞受賞作「Poèmes élisabéthains(エリザベス朝時代の詩集)」など、数々の英国文学作品を翻訳しています。自伝「Vivre la vigne」では、男爵の作家としての才能を垣間みることが出来ます。

スポーツマンでもあった男爵は、自身が操縦するブガッティで、モナコグランプリやルマン24時間耐久レースに参戦しています。また、帆走レガッタレース「フランスカップ」での優勝経験も持ち、「海の男」という別の一面も持ち合わせています。

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